74代 | |
豊昇龍 智勝 | |
所属部屋 | 立浪部屋 |
本名 | スガラクチャー・ビャンバスレン |
生年月日 | 平成11年5月22日 |
出身地 |
モンゴルウランバートル市 |
四股名改変 | |
所属部屋改変 | |
初土俵 | 平成30年1月場所 |
十両昇進 | 令和元年11月場所 |
新入幕 | 令和2年9月場所 |
大関昇進 | 令和5年9月場所 |
横綱昇進 | 令和7年1月 |
最終場所 | |
最高位 | 横綱 |
幕内在位 | 27場所(令和7年1月場所現在) |
幕内通算 | 248勝152敗3休(令和7年1月場所現在) |
勝率 | 0.620(令和7年1月場所現在) |
優勝 | 2回 |
三賞 | 敢闘賞1回、技能賞2回 |
身長 | 188cm |
体重 | 142kg |
得意手 | 右四つ、寄り、投げ、足技 |
年寄名 | |
没年月日 | |
元横綱朝青龍の甥で平成30年初場所に立浪部屋に入門、大鵬の孫である王鵬(当時納谷)と同期で前相撲で対戦がある。令和元年11月場所に新十両を果たすと負け越すもその後は順調に番付を上げて令和2年9月場所に新入幕を果たすと朝青龍の甥というのから話題を呼び、取り口から叔父の朝青龍と比べるとそれほど激しさを感じさせなかったが、番付を上げるにつれて地道に力をつけて朝青龍を彷彿させる取り組みを見せるようになる。令和5年7月場所で念願の初優勝を果たすとインタビューで「叔父さんに報告したい」と述べた。立浪部屋からの優勝は昭和43年3月場所の平幕・若浪以来55年振り、立浪部屋からの大関は昭和61年1月場所の北尾(のちの双羽黒)以来37年振りとなる。場所後の大関昇進伝達式では「大関の名を汚さぬよう、気魄一閃の精神で努力いたします。」と口上を述べた。大関昇進後は8勝止まりなど優勝が遠のいたが、その後琴櫻と大関同士で優勝争いに加わるが琴櫻に優勝を許し共に綱とりとなると三つ巴による優勝決定戦を制し、モンゴル出身では6人目、史上2組目の叔父と甥が横綱へと上り詰めた。伝達式では「横綱の名を汚さぬよう、気魄一閃の精神で精進いたします」と口上を述べた。立浪部屋からは双羽黒以来39年振りの横綱となる。「誰の真似もできない、これが自分だという事を一番にしていきたい」と新たな横綱像を作って行くことを力強く宣言した。 |